Retreat

0924/kome

黄金色の田んぼで秋になったと体感する、稲刈りリトリート

東京に住んでいると、食べ物の旬って、わかるようでわからない。10月ごろ、スーパーのお米に「新米」のシールが貼られているのを見て、「もうそんな季節かあ」と気づくくらい。金色の稲穂を、間近で見たのって、いつだっただろう?そもそもお米って、いつ頃収穫するものだったっけ?そんなことを思いながら、友人に誘われて稲刈り体験へ行ってきました。おいしいお米と楽しい体験を求めて、新宿から電車で80分の大井町へ向かいます。

日本の田舎で減りつつある、はざがけと天日干しを体験

田んぼにお邪魔したのは、9月下旬。お米の収穫の時期は早すぎても遅すぎてもいけないらしく、早すぎると粒が小さくなったり、未成熟な青い米が増えたりしてしまうそう。かといって遅くなりすぎると、秋の台風で穂が倒れ、水につかってカビてしまったりするリスクも増えてしまう、難しいものです。

今年は天候の関係か、例年よりちょっと実の成りが悪いのらしいのだけど、お天気のいい休日に、収穫作業を進めていくことになりました。

作業は、バインダーという小型の機械と、鎌を使った手刈りのミックスで行います。私は機械の操作が苦手なので、もっぱら手刈り担当。「稲の根元を持って、鎌でひといきに切るんだよ」と教わったが、なかなか1回でうまく切れない・・・。何度かやるうちにコツが掴めるようになりました。

刈った稲は、両手でつかめるくらいの束にして、根本をわらでぎゅっと結びます。結んだわらは真ん中で半分に割って逆さまに棒にかけ、天日干し。これを「はざがけ」といいます。藁や雑草で腕に引っかき傷ができるので、長袖での作業がおすすめ。

友人夫婦は、生後半年になる息子を連れて参加し、背負いながらの作業。今ではなかなかない風景だけれど、昔の人はきっとこういう風に農作業をしていたのでしょうね。

「刈る機械もあるし、昔よりはずっとラクなはずなんだけど、ただ干すだけでも汗だくだし筋肉痛になるね」と、お母さん。

こういったはざがけの作業は、現代ではどんどん減ってしまっているそうです。現在、多くの田んぼでは、稲狩りは自動脱穀型コンバインという機械を使って行うもの。コンバインは、刈り取り・脱穀・選別を一気に行うことで手間を大幅に減らしてくれる機械で、脱穀後は、別の大型機械で熱風乾燥します。

はざがけでは2週間ほどかけてゆっくりと天日乾燥させることで、稲の茎に残っている栄養分が一粒一粒に行きわたり、お米を追熟させます。そうすることで、うまみが逃げずにお米本来の味わいが出るんですね。

2400年前から稲作をやっていた? 関東最古の稲作の土地

農家さんの倉庫の軒先で、お昼ごはん。私が箸で掴んでいるのは、前回の蕎麦刈りで収穫した粉でできた、蕎麦がき。

お湯にそば粉を投入し、練っただけのシンプルな食べ物。お醤油・大根おろしと一緒にいただきます。蕎麦もはざがけ・天日干しを行うため、前回収穫したときはすぐ食べられなかったので嬉しい! 蕎麦の味が最もよくわかる食べ方なんだとか。

ご飯を食べながら、田んぼの持ち主である小宮さんに、地域の話を聞きます。小宮さんは、自家消費用として、無農薬・無化学肥料でお米を育てているそう。稲刈りが終わったあとはレンゲソウの種を田んぼにまき、田植えの前に土の中に混ぜ込む。レンゲソウは根っこに根粒菌があり、この菌が土に栄養を与えてくれるのだといいます。

無農薬だから、田んぼにバッタやイナゴやカエルがたくさんいるのだなあ、と思います。生き物がたくさんいるということは、土がきれいな証拠なんですね。

今回の田んぼは大井町の中の山田地区というところにありますが、なんでも、関東で最初に稲作が行われた土地なんだそうです。山田地区の農地を大学が発掘調査したところ、2400年ほど前の時代の炭化した米が出土し、「中屋敷遺跡」と呼ばれています。

2400年前というと、縄文時代の終わりごろ。山田地区は、小高い山のふもとにあり、縄文時代の人たちはこの山を信仰しながら、ここに集落をつくっていたのではないかと言われているそうです。

一説によると、縄文時代の最盛期には約26万人が日本に住んでいたけれど、縄文晩期には、気候の寒冷化による食物不足や出生率の低下により、人口が約8万人まで減ってしまったとされています。

こうした人口の減少に対応するため、祭りや文化が発達。中屋敷遺跡からも土偶型の骨壺に幼児の骨と歯が納められたものが出土しており、亡くなった子どもに対し、「また生まれ変わってくるように」と、命の再生や子孫の繁栄を願ったのだろうと考えられています。

こういった人口減少の危機の中で、このあたりの集落に住んでいた縄文人は、大陸からやってきた稲作文化を取り込み、足柄平野へと稲作が広がっていきました。古代の人は、最初は畑で稲を育てる陸稲を行っていたようですが、田んぼを使った水稲へと変わるに従い、収穫量も安定。

山田地区にはいくつかの水源があり、きれいな水も豊富な地域だったので、それも幸いしたのでしょう。豊かな湧き水をたたえた陽当たりのいい里山は、稲を育て、人々が暮らすのに向いていたと考えられています。

昔ながらの風景を守り継いでいくために

歴史ある、山田地域の米づくりですが、はざがけをやる農家さんは、最近は10~15戸しかいなくなってしまったそう。高齢化による離農が進み、地域の田んぼの3分の1は、休耕田になってしまったのだといいます。

各地で人が減ってゆく中、2400年続いた昔ながらの風景が続いていくためには、今までとは違うやり方が必要になってきているのだと思います。

実は私は、5月末にもこの田んぼを訪れ、田植えを手伝っています。

大変だったけれど、田植えが終わった後に水をひくと、夕日が映りこんで美しい…!

外の人がいきなり田んぼを借りるのは難しいのらしいのですが(農地法では、原則的に農家しか田畑が借りられないことになっています)、都市に住む私たちが、こうして田植えや稲刈りを手伝うというのも、1つのやり方なのかもしれません。

稲刈りを手伝ったメンバーは、はざがけにした米が精米された後、新米を家に配送してもらっていましたが、それも1つの贅沢ですよね。

自分で田植えをし、稲刈り・はざがけをした新米を食べることができる機会なんて、都市に住んでいるとそうそうありません。

ちなみに新米は、収穫した年の12月31日までに精米・包装されたお米のことを指します。おいしく食べられるのは、精米されてから3週間程度。秋から初冬にしか食べられない、贅沢な食材なんですね。

都会の人にとってもいい体験となりながら、農家さんの負担が減り、昔ながらの風景が守られていくような仕組みができていったらいいな…と思わずにはいられません。

--

● 関連イベントのお知らせ

今回刈った稲わらを使ったしめ縄づくりと、鏡もちづくりが、12/16(土)に開催されます。コンバインで刈り取り・脱穀まで一気にやってしまうと、わらは切り刻まれて捨てられてしまい、しめ縄をつくれるのは天日干しならではだそう。

今回は、もち米を蒸して杵と臼でお餅をつくところから、しめ縄は稲わらを編むところから、地域の農家さんや名主のおじいちゃんたちが教えてくれます。

里山ならではのお正月準備、ぜひ体験してみませんか。

お正月に飾る鏡もちやしめ縄、つくってみよう!
https://www.facebook.com/events/400981060335668/